猫とボールと肯定的諦観

現代版有限的徒然草

小使い稼ぎ

一介の有機物たる私が意味のない書き垂らしをながしているのは、一重に経済状況である。雀の涙をのんででも喉を潤したいと望むほど渇いた懐なのである。

然しながら、単に貧乏自虐をしても退屈を越えることはない。上述の条件より情緒あふれる丈夫な常人の冗談をおひとつ

先日の宵い
出張終わりにてタクシーを拾い自宅に帰った直後のこと。扉を開けた途端に立ちくらみが私を襲った。幸い一瞬で収まったのだが、どうにも体が気持ち悪い。医者にかかろうにも勿論しまっているし、都合良く薬があるはずもない。仕方がないので、水だけ飲んでさっさと寝ることにした。翌朝何事もなくすっきりとした目覚めであったのでそのまま会社に出勤した。何事もなくて何よりだったな。


一見なんの変哲もない文だが、捻れ者の私が書いた物語であるのでちょっとした小もないからくりが存在する。推理小説の原則に全く乗っ取らない下劣な文章であり、我が誇るべき灰色でない脳細胞の煤けた空想の中にしかヒントがないという、いわばクソゲーなのである。答えの予測が付く人がいたら是非教えてほしいくらいだ。